それだけで光り輝く意志

アバッキオを中心にジョジョの奇妙な冒険第5部についての考え事をします。二人運営。

カントはアバッキオのこと本に書いてくれてるからマブダチ

カントのこと全く知らないけど…。

 

昨年11月ごろに偶然ツイッターでまわってきたカントについての本のページの写真がすごくアバッキオだなって思ったから、それからカント入門の本を読んだり、大学で偶然ゼミの先生だった哲学の教授にLINEでカントの本のおすすめ聞いたりして、ちょっとずつカントとのお付き合いをはじめた。

 

カント、めっちゃ意志の話してくれるからジョジョ5部好きなんだろうな、きっと5部のなかではアバッキオが推しなんだろうな、と思ってめちゃくちゃ親近感が湧いてきて、わたしは「カントはアバッキオ推しだからマブダチ」とまで言うようになったので、カントはこんなにもアバッキオの話してるよということを伝えたくて記事を書きました。

でも正直哲学を一切履修しなかったド素人の話だから哲学に深い人には解釈違い起こすかもしれん。恥ずかしいな。

 

なお、ここから先の参考は 「イマヌエル•カント著 宇都宮芳明訳(1998年) 道徳形而上学の基礎付け 以文社発行」からである。引用先はこのブログの最後に記します。

 

 

いい結果に向かおうと努力する過程がいいんだよ

 

カントは本の中で「善い意志」の話をしている。[1]

カントは「善い意志」について、この世界で無制限に善いとみなしうる唯一のものとまで言っている。

 

そんな「善い意志」は「それが引き起こしたり達成したりする事柄によって善いのでもなければ、それがなにかあらかじめ設定された目的の達成に役立つことによって善いのでもない。」「ただ意欲することによって善い、つまりそれ自体において善い。」と書かれている。

 

ここで出てくる「善い意志」とは、ジョジョ5部における「真実に向かおうとする意志」だとわたしは思っている。

「真実に向かおうとする意志」も「善い意志」も結果に関係なく「それ自体において善い」

 

そして、善い結果を生もうとする努力が「運命がとりわけ苛酷であったり、無慈悲な自然が調達を惜しんだ」して阻止されることがあったとしても……つまりアバッキオが「今にも落ちてきそうな空の下で」で殉職した相棒に言う「「指紋」なんてとれないかも…………」「犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になった」としても、ただ「善い『意志』」は残る。

 

空落ちじゃん

カント、アバッキオ好き?

 

 

カントの言う「善い意志」は、一般的に善いとされるからそうするという判断や、優しさ、思いやりといった善意も「善い意志」ではない。

 

ただ「それを行うことが義務だから」という理由でのみ行動を行うことが「善い意志」になる。

 

また、その「義務」は経験で学ぶことではなく、人間が生来理性で知っているものである。

 

 

じゃあ、何をもって「善い」と判断するのか

 

「義務」で殺人を犯すことが「善い」となるわけでは当然ない。

 

人にはそれぞれ「格律」(価値観、ルール、ポリシー)がある。その格律が、ほかの全員に当てはまっても社会が成立するものに従うべきだ、とカントは言っている。(「汝の意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ。」)

 

つまり、社会のみんなが「人を殺すことは善いこと」という格律を持っていると、社会が成り立たなくなるので人を殺すのはよくないよね、ということになる。

 

 

 

アバッキオの遍歴


アバッキオは「純粋に正義感からの動機」で「心の底から人々を守りたい」と思い警官になった。


カントも純粋という言葉を使っていて、これは「経験から来るものではなく理性から来るもの」としている。


アバッキオは警官になった後社会の矛盾を学び、純粋さ(無条件で「人々を守りたい」という理性による格律)を失った結果「心は動かない」状態まで堕ちてしまう…。ここからは次の項で説明する。 

 

 

利他主義者が心折れてなおも義務で他人に親切にするのがめっちゃいい

 

カントは「できるだけ他人に親切であることは義務である。」としている[2]が、利他主義者が思いやりを持って他人を喜んで助けることについては、「善いことをして喜びを得る」という動機に義務が伴わないため、「真に道徳的な価値をそなえてはいない」と言う。

 

だが、そのような利他主義者が、「他人の運命に対する一切の同情を消し去ってしまう」ほど「自分自身の心痛によって曇らされ」その結果、他人に親切にする能力を持っていても、「自分自身の困窮にかかりきりになっていて、他人の困窮が心を動かすにはいたらない」状況に追い込まれる。

 

もはや、いかなる動機も彼を親切へと駆り立てることはない。にもかかわらず、彼が「極度の無感動状態を脱し」一切の動機を持たずに、ひとえに「義務のため」に他人に親切にする(助ける)。このとき、彼の行動は「真正な道徳的価値」をもつ。

 

 

わたしはこれ見つける前から、アバッキオって利他主義者だな(というか自分の目的のために動くことがない)って思ってたんですけど、そんな彼が「相棒を死なせるというはずす事のできない十字架を背負」ったことで「生きがいだとか心を動かすものはもうなくなっていった」のはまさに「他人の困窮が心を動かすにいたらない」のところだと思う。

 

にもかかわらず、その後アバッキオはジョルノに心を動かされ、ボートに乗ったことで「極度の無感動状態」から脱し、「善意志」を取り戻す。

 

その善意志こそ真正な道徳的価値観を持ち、例え達成される事がなくとも(結果だけを求めてはいない)「意欲し行動するだけで善い(向かおうとする意志)」なのである。

 

 

カント、アバッキオ好きでしょ(まとめ)

 

カントはじめて読んだときにめっちゃまわりくどくて読むのにすごく苦労したけど、アバッキオのこと言ってるところはわかったので「これ進研ゼミでやったところだ!」みたいになった。

 

カントって同人作家なら小説書きで、アバッキオに精神的リョナするけどそれでもなお義務で行動して善なる意志持ってるのがいいよね!みたいな性癖同人誌ばっかし出すんだろうな〜〜〜相互フォローになりたい。

 

 

カント哲学ってほかにも結構ジョジョっぽいところあるよ

 

5部のなかではポルポが言ってる「信頼」と「侮辱」の話もしてる。

 

あとは荒木先生がジョジョの悪役についてお話しているのだが、

「『ジョジョ』の悪役は自分の理念を実現するために他人を利用することをよしとする。いくら高潔な理念があったとしても、これは許されないという視点で描いています。」「これ以上、王道の漫画はない」――荒木飛呂彦が「ジョジョ」を描き続ける理由

 これがカントが言ってる「人は尊厳を持っているので、物のように手段として用いることはしてはならない」と言ってるのと被る。ブチャラティの「吐き気を催す邪悪」のセリフとも言っていることが同じだなと。

 

あと5部はユングからとってるであろうとこもあるのでユングも気になっています。(じゃむ)(モネちゃんさん監修)

 

 

[1]「善い意志は、それが引き起こしたり達成したりする事柄によって善いのでもなければ、それがなにかあらかじめ設定された目的の達成に役立つことによって善いのでもない。そうではなくて、善い意志はただ意欲することによって善い、つまりそれ自体において善いのであって、この善い意志は、それだけをとりだしてみると、この意志がなんらかの傾向性の、いなそれどころかすべての傾向性全体の満足のためにもたらすかもしれない一切のものよりも比較を絶して高く評価されるべきなのである。運命がとりわけ苛酷であったり、無慈悲な自然が調達を惜しんだために、この善い意志が自らの意図を貫徹する能力をまったく欠くとしても、つまり善い意志が最大の努力を払ってもこの意志によってなにごとも成就せず、ただ善い意志のみが残る(もとよりこの意志はたんなる願望ではなく、われわれがなしうる限りでのすべての手立てを尽くすのであるが)としても、この善い意志はあたかも宝石のように、みずからの全価値をおのれ自身のうちにもつものとして、それだけで光り輝くであろう。」(p27-28)

[2]「できるだけ他人に親切であることは義務であるが、その上〔世間には〕同情心に富んだ人が多く、彼らは虚栄や自利といったほかの動因がなくても、自分の周囲のひとびとに喜びを広めることに内的な満足を見いだし、自分のせいで他人が満足するのを楽しむのである。だが私は主張したいが、このような場合にそうした行為は、たとえ義務にどれほど適合していようと、その上どれほど人に好まれようと、真に道徳的価値をそなえてはいず、その他の傾向性と、たとえば名誉への傾向性と同等の資格を持つにすぎない。」

「いま述べた博愛的なひとの心情が、他人の運命に対する一切の同情を消し去ってしまうような自分自身の心痛によって曇らされ、その結果、困窮している他人に親切を施す能力を依然としてもっているとしても、自分自身の困窮にかかりきりになっていて、他人の困窮が心を動かすにはいたらないとしよう。さて、もはやいかなる傾向性もかれを親切な行為へと駆り立てることはないが、にもかかわらずかれがこの極度の無感動状態から脱し、一切の傾向性によらずに端的に義務に基づいて行為するとすれば、この行為はその場合にはじめて真正な道徳的価値をもつのである。」(p39-40)

 

p.s「この善い意志はあたかも宝石のように、みずからの全価値をおのれ自身のうちにもつものとして、それだけで光り輝くであろう。」かっこいいのでブログのタイトルにもとりました。