カントはアバッキオのこと本に書いてくれてるからマブダチ
カントのこと全く知らないけど…。
昨年11月ごろに偶然ツイッターでまわってきたカントについての本のページの写真がすごくアバッキオだなって思ったから、それからカント入門の本を読んだり、大学で偶然ゼミの先生だった哲学の教授にLINEでカントの本のおすすめ聞いたりして、ちょっとずつカントとのお付き合いをはじめた。
カント、めっちゃ意志の話してくれるからジョジョ5部好きなんだろうな、きっと5部のなかではアバッキオが推しなんだろうな、と思ってめちゃくちゃ親近感が湧いてきて、わたしは「カントはアバッキオ推しだからマブダチ」とまで言うようになったので、カントはこんなにもアバッキオの話してるよということを伝えたくて記事を書きました。
でも正直哲学を一切履修しなかったド素人の話だから哲学に深い人には解釈違い起こすかもしれん。恥ずかしいな。
なお、ここから先の参考は 「イマヌエル•カント著 宇都宮芳明訳(1998年) 道徳形而上学の基礎付け 以文社発行」からである。引用先はこのブログの最後に記します。
いい結果に向かおうと努力する過程がいいんだよ
カントは本の中で「善い意志」の話をしている。[1]
カントは「善い意志」について、この世界で無制限に善いとみなしうる唯一のものとまで言っている。
そんな「善い意志」は「それが引き起こしたり達成したりする事柄によって善いのでもなければ、それがなにかあらかじめ設定された目的の達成に役立つことによって善いのでもない。」「ただ意欲することによって善い、つまりそれ自体において善い。」と書かれている。
ここで出てくる「善い意志」とは、ジョジョ5部における「真実に向かおうとする意志」だとわたしは思っている。
「真実に向かおうとする意志」も「善い意志」も結果に関係なく「それ自体において善い」
そして、善い結果を生もうとする努力が「運命がとりわけ苛酷であったり、無慈悲な自然が調達を惜しんだ」して阻止されることがあったとしても……つまりアバッキオが「今にも落ちてきそうな空の下で」で殉職した相棒に言う「「指紋」なんてとれないかも…………」「犯人がずる賢い弁護士とかつけて無罪になった」としても、ただ「善い『意志』」は残る。
空落ちじゃん
カント、アバッキオ好き?
カントの言う「善い意志」は、一般的に善いとされるからそうするという判断や、優しさ、思いやりといった善意も「善い意志」ではない。
ただ「それを行うことが義務だから」という理由でのみ行動を行うことが「善い意志」になる。
また、その「義務」は経験で学ぶことではなく、人間が生来理性で知っているものである。
じゃあ、何をもって「善い」と判断するのか
「義務」で殺人を犯すことが「善い」となるわけでは当然ない。
人にはそれぞれ「格律」(価値観、ルール、ポリシー)がある。その格律が、ほかの全員に当てはまっても社会が成立するものに従うべきだ、とカントは言っている。(「汝の意志の格律がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ。」)
つまり、社会のみんなが「人を殺すことは善いこと」という格律を持っていると、社会が成り立たなくなるので人を殺すのはよくないよね、ということになる。
アバッキオの遍歴
アバッキオは「純粋に正義感からの動機」で「心の底から人々を守りたい」と思い警官になった。
カントも純粋という言葉を使っていて、これは「経験から来るものではなく理性から来るもの」としている。
アバッキオは警官になった後社会の矛盾を学び、純粋さ(無条件で「人々を守りたい」という理性による格律)を失った結果「心は動かない」状態まで堕ちてしまう…。ここからは次の項で説明する。
利他主義者が心折れてなおも義務で他人に親切にするのがめっちゃいい
カントは「できるだけ他人に親切であることは義務である。」としている[2]が、利他主義者が思いやりを持って他人を喜んで助けることについては、「善いことをして喜びを得る」という動機に義務が伴わないため、「真に道徳的な価値をそなえてはいない」と言う。
だが、そのような利他主義者が、「他人の運命に対する一切の同情を消し去ってしまう」ほど「自分自身の心痛によって曇らされ」その結果、他人に親切にする能力を持っていても、「自分自身の困窮にかかりきりになっていて、他人の困窮が心を動かすにはいたらない」状況に追い込まれる。
もはや、いかなる動機も彼を親切へと駆り立てることはない。にもかかわらず、彼が「極度の無感動状態を脱し」一切の動機を持たずに、ひとえに「義務のため」に他人に親切にする(助ける)。このとき、彼の行動は「真正な道徳的価値」をもつ。
わたしはこれ見つける前から、アバッキオって利他主義者だな(というか自分の目的のために動くことがない)って思ってたんですけど、そんな彼が「相棒を死なせるというはずす事のできない十字架を背負」ったことで「生きがいだとか心を動かすものはもうなくなっていった」のはまさに「他人の困窮が心を動かすにいたらない」のところだと思う。
にもかかわらず、その後アバッキオはジョルノに心を動かされ、ボートに乗ったことで「極度の無感動状態」から脱し、「善意志」を取り戻す。
その善意志こそ真正な道徳的価値観を持ち、例え達成される事がなくとも(結果だけを求めてはいない)「意欲し行動するだけで善い(向かおうとする意志)」なのである。
カント、アバッキオ好きでしょ(まとめ)
カントはじめて読んだときにめっちゃまわりくどくて読むのにすごく苦労したけど、アバッキオのこと言ってるところはわかったので「これ進研ゼミでやったところだ!」みたいになった。
カントって同人作家なら小説書きで、アバッキオに精神的リョナするけどそれでもなお義務で行動して善なる意志持ってるのがいいよね!みたいな性癖同人誌ばっかし出すんだろうな〜〜〜相互フォローになりたい。
カント哲学ってほかにも結構ジョジョっぽいところあるよ
5部のなかではポルポが言ってる「信頼」と「侮辱」の話もしてる。
あとは荒木先生がジョジョの悪役についてお話しているのだが、
「『ジョジョ』の悪役は自分の理念を実現するために他人を利用することをよしとする。いくら高潔な理念があったとしても、これは許されないという視点で描いています。」「これ以上、王道の漫画はない」――荒木飛呂彦が「ジョジョ」を描き続ける理由
これがカントが言ってる「人は尊厳を持っているので、物のように手段として用いることはしてはならない」と言ってるのと被る。ブチャラティの「吐き気を催す邪悪」のセリフとも言っていることが同じだなと。
あと5部はユングからとってるであろうとこもあるのでユングも気になっています。(じゃむ)(モネちゃんさん監修)
[1]「善い意志は、それが引き起こしたり達成したりする事柄によって善いのでもなければ、それがなにかあらかじめ設定された目的の達成に役立つことによって善いのでもない。そうではなくて、善い意志はただ意欲することによって善い、つまりそれ自体において善いのであって、この善い意志は、それだけをとりだしてみると、この意志がなんらかの傾向性の、いなそれどころかすべての傾向性全体の満足のためにもたらすかもしれない一切のものよりも比較を絶して高く評価されるべきなのである。運命がとりわけ苛酷であったり、無慈悲な自然が調達を惜しんだために、この善い意志が自らの意図を貫徹する能力をまったく欠くとしても、つまり善い意志が最大の努力を払ってもこの意志によってなにごとも成就せず、ただ善い意志のみが残る(もとよりこの意志はたんなる願望ではなく、われわれがなしうる限りでのすべての手立てを尽くすのであるが)としても、この善い意志はあたかも宝石のように、みずからの全価値をおのれ自身のうちにもつものとして、それだけで光り輝くであろう。」(p27-28)
[2]「できるだけ他人に親切であることは義務であるが、その上〔世間には〕同情心に富んだ人が多く、彼らは虚栄や自利といったほかの動因がなくても、自分の周囲のひとびとに喜びを広めることに内的な満足を見いだし、自分のせいで他人が満足するのを楽しむのである。だが私は主張したいが、このような場合にそうした行為は、たとえ義務にどれほど適合していようと、その上どれほど人に好まれようと、真に道徳的価値をそなえてはいず、その他の傾向性と、たとえば名誉への傾向性と同等の資格を持つにすぎない。」
「いま述べた博愛的なひとの心情が、他人の運命に対する一切の同情を消し去ってしまうような自分自身の心痛によって曇らされ、その結果、困窮している他人に親切を施す能力を依然としてもっているとしても、自分自身の困窮にかかりきりになっていて、他人の困窮が心を動かすにはいたらないとしよう。さて、もはやいかなる傾向性もかれを親切な行為へと駆り立てることはないが、にもかかわらずかれがこの極度の無感動状態から脱し、一切の傾向性によらずに端的に義務に基づいて行為するとすれば、この行為はその場合にはじめて真正な道徳的価値をもつのである。」(p39-40)
p.s「この善い意志はあたかも宝石のように、みずからの全価値をおのれ自身のうちにもつものとして、それだけで光り輝くであろう。」かっこいいのでブログのタイトルにもとりました。
ジョジョ5部の根底に流れる「悲しみ」とアバッキオの死とその受け止め方
人は死んで終わりではない。残された人に意志を残し、受け継がれていくというのが『ジョジョ』のもう一つのテーマなのです。敗北したとしても、誰かが意志を継いでいく。僕はそれを人間の美しさだと思っています
レオーネ・アバッキオ。いいキャラですよね。
初登場でいきなり主人公に尿を飲ませようとするという奇行をぶちかましてきますが、活躍自体は地味ながら、長身長髪で真っ黒に塗られた唇という鮮烈なビジュアルとともに、任務遂行に対する強い意志と印象的な過去を見せ、最後にはジョジョの奇妙な冒険という作品全体でも屈指の名シーンと言っていい程の劇的な死を遂げます。
アバッキオの死について、冒頭で引用したように作者の荒木飛呂彦先生も「人間の美しさ」であると言及しています。
この死の場面を人生の指針のようにして生きているという人も多いと思います。
この記事はそういったアバッキオの死を上手く感動として昇華出来なかった物狂いによる自己整理のためのものなので、狂人の書いた文章なんて読みたくないという方はページを閉じてください。お疲れ様でした。
私とジョジョ5部の出会い
私は昨年の春ごろ、アニメからジョジョの奇妙な冒険第5部黄金の風に出会いました。いわゆるにわかでございます。
視聴のきっかけはTwitterで見かけた二次創作作品におけるブチャラティなるキャラクターのキャッチーさに惹かれた事で、しかしあまりアニメ自体好きな方ではないのでそんなに期待はしていなかったのですが、見始めてすぐに心打たれ、涙さえしました。
母子家庭で母親が自分を置き去りにしてよく遊びに出かけ、その母親が連れてきた男に殴りつけられる日々を過ごすという、主人公ジョルノの生い立ちが全く自分のそれと同じかつ、その描写が非常にリアルなものだったからです。
この時点で私はジョジョ5部の世界に没入し、「これはただの娯楽作品ではない」と捉えるようになりました。
ジョジョ5部という作品の哲学性
実際荒木先生は5部について
「テーマ性がぐっと深化した」(※JOJOmenonより)
と述べています。
それまでの部においてもジョジョには「人間賛歌」という一貫した命題がありますが、5部がより哲学的に深められた作品となっているのは間違いないと思います。
では、5部における主たる哲学的テーマとは何なのか。
これは荒木先生自身が5部の連載終了後繰り返し述べている、「生まれてきた悲しみ」というものだと思います。
ジョルノは実父が存在せず母親に顧みられず義父に虐げられるという、抗いようのない「悲しみ」を生まれ持って背負っています。
ジョルノというキャラクターについては、インタビューにて、
「ジョルノはディオの子供で忌まわしい生まれなんです。他の登場人物より生きている悲しみが、生まれた時から上乗せされているというか。」
「第五部から第七部にかけての、生きている悲しみを描くというテーマは、ジョルノの造形から始まっているんです。」
(※クイック・ジャパンVol.75より)
と語られています。
この「悲しみ」に共感し、その「悲しみ」と向き合う物語である事を期待するのは、間違った読み取り方ではないでしょう。
5部の根底にあるのは人生に対する悲観主義なのです。
「悲しみ」に対しての結論
しかし、ジョジョという漫画は人間賛歌の漫画です。人間を肯定する事が目的の漫画です。
そのジョジョがどうやって「人間が生まれてきた悲しみ」などという悲観に満ちたテーマにけりをつけるのか?
ただ「生まれてきた事、生きている事は悲しいんだ!」で終えていいはずがないし、荒木飛呂彦はそんな作家ではありません。私もそんなものは期待していませんでした。
結果として5部で「悲しみ」に対して荒木先生が示したアンサーは、
「主人公たちは「運命」や「宿命」を変えようとはせず、彼らのおかれた状況の中で「正しい心」を捨てない事を選んだのです。正義の心の中にこそ「幸福」があると彼らは信じて。」(※文庫版あとがきより)
「死んでも何かを伝え、残された者に受け継がれていく」「結果として死んでも、その過程で勇気を手に入れたり、心が成長したら僕の中でハッピーエンドなのです。」「何かを残すことは、これまで人類がやってきた、非常に尊いこと。」(※ジョジョの奇妙な名言集Part4~8コラムより)
というものでした。
素晴らしい結論だと思います。
これらはまさにアバッキオの死が描かれた「今にも落ちてきそうな空の下で」のテクストでも語られている事柄でしょう。
素晴らしい事だとは分かっているのです。
この答えが悲しみを抱えた人間にとっての救いである事も分かっているのです。
悲しみを抱えていても、その悲しい運命を否定する必要さえなく、正しい心を持ち続ける事こそ幸福で、それは死してなお受け継がれていく。美しく尊く希望に満ちています。
ところが私はこれを受け入れられませんでした。
5部アニメの放送が終わった後深い精神的ショックにより寝込んでしまい、毎日泣きむせび、仕事どころか日常生活もままならない状態に暫く陥ってしまいました。
アバッキオを好きになってしまったからです。
私はアバッキオというキャラクターの死を受け入れられなかったのです。
アバッキオというキャラクターについて
アバッキオは5部のテーマである悲しみと、その悲しみを乗り越える美しさを、主人公のジョルノ以上、そしてサブ主人公と言ってよいだろうブチャラティ以上に体現したキャラクターであると個人的に思っています。
荒木先生は、アバッキオの死の話に連ねて
「第五部では居場所のない人間を描きたかったんですよね。もうそこに行くしかないという。」(※2007年11月臨時増刊号のユリイカより)
と言っています。
アバッキオは作中で唯一台詞として己の「居場所のなさ」に触れているキャラクターであり、それは「彼はこの社会で行く所がなく、堕ちに堕ちてギャングとなった。」と書かれているプロフィールにおいても同じです。
彼の人格はその苛烈な言動とは裏腹に(「ただ他人の行動を再現しその間は無防備になる」という彼のスタンドの能力に通じているかのように)非常に受動的で、自らの力で積極的に運命に抗おうとはしません。出来ないと言ってもよいでしょう。
罪を背負い行く所がないのでギャングになり、必要としてもらえるし何も考えずに済むから任務の遂行に命をかけ、能動的に見える船着場でブチャラティについていくシーンでさえも、ブチャラティの行動によって迫られた選択であり、彼が元警官であるという立場を考えれば台詞通り「ブチャラティといっしょの時以外に落ち着けるところはない」からついていくのです。
その結果死ぬとしても「もうそこに行くしかない」のです。
しかしアバッキオはこの時点でジョルノの影響により、根底に持ち続けていた「正義の心」を取り戻しています。
自分の行く先が与えられた運命だとしても、彼は正しい心に基づいて仲間のために行動し、死にます。
そしてその正義の意志は仲間に受け継がれ実を結びます。
まさに彼の人生は5部のテーマそのものを体現しており、美しい話です。
アバッキオを思うならば、そして悲しみを抱えた居場所のない人間に対する希望として、素直にこの美しさを賛美すべきだと思います。
しかし、アバッキオというキャラクターを個人として、一人の人間として好きになってしまったとき、その人生と死を「賛美すべきもの」として受け止められるでしょうか?
好きな人が死ぬというのは、どんなに尊い死であろうと、それはただただ悲しいのです。
生きていて欲しかったと思ってしまうのです。
ましてやアバッキオの人生は決して彼自身が望んだことによって死に向かったわけではないのだから。
アバッキオがただ作中で死を迎えるというだけのキャラクターであれば私はここまで苦しまなかったでしょう。
私は同じようなファンたちと悲しみを分かち合い、傷心を慰められた事でしょう。
しかし、アバッキオの死は明確に作中で肯定されているのです。
それも作品テーマそのものと最も深く結びついたところで。
決して誰にも否定は出来ません。
アバッキオの死は「これでいい」のだと、作品に結論付けられているのです。
意味付けされる死と個体としての死
「赤んぼ少女」という作品についての論文があります。
タマミの御霊 -楳図かずお『赤んぼ少女』、鎮魂をめぐる諸問題
「赤んぼ少女」のタマミというキャラクターの死と、その弔いについて書かれているものです。
この論文を初めて読んだとき、私はアバッキオを思わざるを得ず、冒頭から泣き崩れてしまいました。
君は何をどのように論じても良いが、忘れてはいけないのは、タマミは結局最後に死んでしまうということだ。あるいは、死んでしまっているというところから出発せねばならないということだ。これはこの作品をどのように解釈しようと、決して変えることの出来ない事実だ。この事をきちんと君自身が受け止める必要があるよ。つまり言い換えると、もはや死んでしまった人に対して君にはなにが可能なのか、それが問われているのだよ。
死は一切の終わりであり、不可逆性そのものであるとこの論文は説きます。
これは荒木先生の「人は死んで終わりではない」という思想に真っ向から反するもののように思えます。
どちらの考え方が間違っているというものではないと思います。荒木先生は先に引用した発言において「人類」という単語を使っていますが、人間を人類全体として俯瞰して見たとき、確かに死は残された人々によって意味付けされ、決してそこで終わりはしないのです。
それは死する人にとっても残される人にとっても救いとなります。
しかしそれは死んだ個体を個体として見ないことで出来得ることです。
アバッキオを他の人類から切り離し、アバッキオというかけがえのない唯一の個体として見たとき、その死には「取り返しのつかない一切の終わり」しか存在しません。
先の論文において、「死を個体における出来事としてみること」について「人に替わりはいないということ」という結論が出されているように、私にとってアバッキオはアバッキオしか存在しておらず、誰がその意志を継ごうが、死んでしまえばそれで終わりなのです。
「これでいい」などとは決して言えはしないのです。
死の肯定と昇華
で、お前は結局何が言いたいのだ、ただ5部の物語にケチを付けたいだけか? と思われる方もいらっしゃるでしょう。
私が5部に不満があるとすれば、それは物語そのものではなくアバッキオというキャラクターの描き方にあります。
まず、彼は主要メンバーの中では悲しいほど地味なキャラクターです。何と唯一戦闘で敵を倒しておりません。クローズアップされる事が少なく、もっぱら登場時のジョルノへのかわいがりと死亡シーンが印象に残ったものとしてファンには語られます。ジョジョ立ちやら個性的な名台詞もありません。それでも彼はキャラが立っていますし、十分過ぎるほど魅力的ですから逆に凄いんですが。
そして死亡後はトリッシュが一度名前を出すのみで、その後は一切特別に触れられる事はありません。チームで一番最初に死亡し、ラスボスに繋がる重要な手掛かりを遺したにも関わらずです。この触れられなさのせいで、読み込みの浅い読者はあの手掛かり意味なかったねなどと言ってしまいます。
こうしてアバ茶というファースト・インパクトを除けば、多くの読者にとってアバッキオというキャラクターは死亡時の感動のみが殊更強く印象に残ります。そして、継承される意志、悲しみに対する救い、その意味付けされた美しさばかりが取り沙汰され、「いい話」として肯定・昇華されます。
今にも落ちてきそうな空の下で
「今にも落ちてきそうな空の下で」は紛れもなくいい話で、美しい話です。
死なせてしまった相棒と対峙する事で、アバッキオの魂は確かに救われます。
アバッキオの「過去を再生する」能力は、ラスボスであるディアボロの「過程をすっ飛ばし結果だけを残す」という能力ともともと対比になっており、相棒の台詞はその精神性を具象化してくれるかのようです。
生まれてきた事が悲しくても、運命に抗えぬままに死んでしまうとしても、そこに至る意志がアバッキオのように美しければ救われるのだと、この話は私たちに教えてくれます。
それでも、私はアバッキオに死んで欲しくはなかったし、アバッキオの死を肯定も昇華もしたくはないし、彼には生きているときに報われてほしかった。
死後、自らの救いの象徴である相棒に背を向け、真っ先に仲間のもとへ戻ろうとするアバッキオを見る度に、私はひどく悲しくなります。
どうしてこんな子が、どこにも居場所がないほど追い詰められ、「くだらない男」と自分を断じながら、たった21歳で死ななければならなかったのか。
死後に救われたとしても、仲間に意志を残せたとしても、その感動は彼の命に替えられるものなのか。
アバッキオのプロフィールには、好きな映画はスリング・ブレイドであると設定されています。
そのパンフレットの解説に、こんな一文が存在します。
カールは、いったい何のために生まれてきたのだろうか。彼の人生の意味は何だったのか。彼の人生のテーマが、トラウマを何らかの形で解決するということだとしたら、あまりにも悲しい話でありはしないか。(※スリング・ブレイドパンフレットより「トラウマを癒やすこと」西澤 哲)
私は同じ気持ちをアバッキオに感じます。
たった一度犯した、罰も受けた罪のために社会を追われ、ギャングに堕ちた後も経歴故に未来はなく、それでも必要とされれば命をかけて働き、最後は友のために安息を捨て、損なわれた自尊心を抱えたまま死んでしまい、なおも仲間のところに戻ろうとするアバッキオの人生と死は、私にはあまりにも「悲しい」のです。
終わりに
ただただ「アバッキオを好きになりすぎてしまった」というだけの話でした。
これだけ人の頭を狂わせるキャラクターを描けるのですから、荒木飛呂彦先生は本当に鬼神のような作家です。
アバッキオの死を悲しむことが正しいと言いたいわけではありません。
ですが、一人でもアバッキオという人間の人生について考える人が増えてくれれば嬉しく思います。
願わくはこの追慕の気持ちが空の上にいる彼に届きますようにと、祈るばかりです。
(モネちゃん)
気分はJOJO 最終回スペシャル 荒木飛呂彦Q &A
気分はJOJOを図書館で見てきたのでQ &Aを書き起こしました。調べたら出てくるものだけど文字で見たかったので…。
●キャラクター編
Q.6人の中で1番ケンカが強いのは誰?
Q1.ジョジョ第5部の仲間達で1番最初に出て来たキャラは誰ですか?
Aジョルノです!ちなみに1番気に入っているキャラは味方ならジョルノ、敵ならペッシです。
Q2.アバッキオの頭についてるヤツは何なんですか?
A.ヘアバンドを兼ねた帽子です。ブチャラティの頭に付いてるのは髪どめのブローチ、ミスタの帽子の中には色んな物が入ってます。ミスタは常に両手を空けておきたいので、マメに物を補充してるみたいですね。持つのがメンドーというのもあるようですが。
(アバッキオのコマを指して、「アバッキオの頭、卵の殻じゃなかったんだ…。」)
Q3.服装に1番金をかけているのは誰?
A.ミスタ。カシミアのセーターに、パンツはシマウマの革パンツ!(ワシントン条約違反の疑いアリ)
Q4.ジョルノと出会うまで、ブチャラティ 達はどうやって生計を立てていたんですか?
A.レストランの警護をしてお金をもらったり、港の仕切りを行う、いわゆるヤクザ稼業ですね。ギャンブルやドラッグ売買には関わってません。また、当然彼らは学校に行ってません。
Q5.みんなそれぞれ彼女はいるんでしょうか?また、1番モテるヤツ、1番モテないヤツは誰ですか?
A.彼女はいません。あまりにもモテるので、みんな逃げまわってるみたいですね。ただ、全員「自分が1番モテる」と思ってるらしい…。
Q6.フーゴのズボンを見ると、どうも下着をつけてないように思うのですが…。フーゴはノーパンなの?
A.今流行りの、Tバックっぽいセクシーなヤツを履いていると思われます。
(フーゴの絵を指して「腰回りを見ると、確かにノーパンに見える。」)
Q7.ズッケェロ拷問している時、ナランチャがかけた音楽に合わせナランチャやフーゴが踊りだしたのは何だったんですか?
A.ギャングスター•ラップに合わせて踊ってます。彼らはギャングなんで……。
(ギャングダンスのコマを指して「踊りの種類は分かっても、なぜ踊り出したのかはいまだにナゾ…」)
Q8.承太郎はジョルノをどうするつもりなんでしょう?
A.まだ考えてません。ひょっとしたら単なる好奇心なのかも…?
Q9.トリッシュは、スーパー•モデルのトリッシュ•ゴフがモデルなんですか?
A.エライ!よく分かりましたね。その通り、私は彼女の大ファンなんです。
●スタンド編
Q.エアロスミスに乗ってる人は誰?
A.スミスさんです。
(エアロスミスのコマを指し「コックピットに注目!ここに乗ってるのがスミスさんだ!!」)
A.死にます。
Q11.キーをはめてスタンドを発動させるカメのスタンドの名前は何というのですか?カメの名前も教えて下さい。
A.亀の名前はありません。スタンド名は「T-レックス」……になると思います。
Q12.セックス•ピストルズを使うには、ミスタの持っている銃じゃないとダメなんですか?
A.ミスタが撃った弾ならOK!ちなみにミスタは一発撃てば絶対に命中させられるので、機関銃の類は必要ナシ。
Q13.スタンドは一人一体と決まっていたんじゃないんですか?第4部以降、ハーヴェストやセックス•ピストルズなど複数のものが登場していますが…。
A.いや、これはどれも一つの能力なので、複数で一体という計算なんです。
●その他編
Q14.『ジョジョ』にはわりと動物(カメ、カエル、ヘビ、ネズミ、クモ等)が出てきますが、どういう基準で登場する生き物を決めてるんですか?
A.基本的に「頭が悪そうで何にも考えてなさそうなヤツ」というのを選んでます。
Q15.本当にイタリアで『キャプテン翼』をやってるんですか?
A.やってます!少なくとも私は2〜3年前にイタリアで見ました!!
(亀の中のテレビでキャプ翼を観てるコマを指して「亀の中で翼が!もちろん日本ではなく、イタリアです。」)
Q16.荒木先生はスタンドが一つ使えるとしたらどれを選びますか?
A.うーん、お金が欲しいからハーヴェストかなあ…。いや、やっぱりヘブンズ•ドアーです!取材がニガテなもんで…。
Q17.タイトルにある「ロマンホラー!ー真紅の秘伝説ー」ってどういう意味?
A初代の担当者がつけたもので、深い意味はないです。内心、もう取ってもいいかなと思ってますが……。
最終回スペシャルに主要キャラの受けた傷がスクアーロ•ティッツアーノ戦あたりまで書かれてたのでその辺の回答。あと気分はJOJOのイラスト投稿コーナーのアバッキオ賞がすごいセクシーで戸惑った。(じゃむ)
ジョジョ5部 ジャンプ本誌記載時タイトルと年月日+オマケ
関係のある映画の上映日と照らし合わせる時に困ったので図書館で調べてきました。
おもろいな〜と思ってメモしておいたアオリも載せておきます。細かいところ自信ないので正確性を求める方は自分で確認してほしい。何かの役に立てば。
1990年12月7日プリティ・ウーマン日本公開
1995年9月23日マディソン郡の橋日本公開
1話 1995年 12月11日号 恐るべき力!!
2話 1996年 1月1日号 無駄なんだ!
3話 8日号 同一人物!
4話 10•15日号 ウソの味!
5話 16•22日号 やるしかない!?
休載 29日号
6話 5日号 生命(いのち)を与えよ! 5部開始、450回記念巻頭カラー
7話 12日号 未来のために!
8話 19日号 もう殺さない!
9話 26日号 面接試験!
10話 3月4日号 ボディ•チェック!
11話 11日号 夢のために!
12話 18日号 チャンスをやろう!
13話 25日号 もうすぐ沈む!
14話 4月1日号 つかんだ!
15話 8日号 向かうべき道!
16話 15日号 神は許す!
17話 22日号 新しい仲間!
18話 29日号 回収せよ!
19話 5月6日号 おまえなら! 18日 イルポスティーノ日本公開
20話 13•20日号 5分前!
21話 27日号 もう一つの謎!
22話 6月3日号 やってみろ!
23話 10日号 先に行け!
24話 17日号 そこにいる!
25話 24日号 仕方ねえ!
26話 7月1日号 逃さねえ!
27話 8日号 縁起悪ィぜ!
28話 15日号 信じるか?
29話 22日号 渡したぞ!
30話 29日号 命を賭けて!
31話 8月5日号 命令は守る!
32話 12日号 そろそろだ!
33話 19日号 仲間のために!
34話 8、9月26、2日号 なぜバレた!?
35話 9月9日号 時間が来た!
休載(短編執筆) 16日号
休載 23日号
36話 30日号 “罰“の小包! センターカラー
37話 10月7日号 思い出した!
38話 14日号 もっとでっかく!
39話 21日号 乗り物の鍵(キー)!
40話 28日号 ひとりずつ!
41話 11月4日号 近づくな!
42話 11日号 何かある!
43話 18日号 おまえのだ!
44話 25日号 さっさと行け!
45話 12月2日号 外に出れば!
46話 9日号 くらわせろ!
47話 1997年 1月1日号 はまった!
48話 8日号 どこにもいない!
49話 15日号 とことんやるぜッ!
50話 16•22日号 老いる条件!
51話 29日号 探せ!
52話 2月3日号 兄貴ィ!!
53話 10日号 ひとり足りない!
54話 17日号 幹部の条件!
55話 24日号 ツイてない奴!
56話 3月3日号 ママッ子(マンモーニ)のペッシ
57話 10日号 針をはずせ!
58話 17日号 覚悟の行方
59話 24日号 どっちが早い!?
60話 31日号 地獄に墜ちた魂
61話 4月7日号 受胎せよ!
62話 14日号 ブッ殺せ!
63話 21日号 攻撃!
64話 28日号 けずり取る
65話 5月5日号 成長する!
66話 12•19日号 「必要」は「発明」の母
67話 26日号 シンプルで行こう!
68話 6月2日号 ボスからの指令
69話 9日号 ミスタ!!
70話 16日号 どんどん凍る!!
71話 23日号 振り切れ!
休載 30日号
岸辺露伴は動かない 7月7日号
72話 14日号 本当の「勝利」とは!?
73話 21日号 「殺る」のは今だ
74話 28日号 ジェントリーウィープス!!
75話 8月4日号 血の覚悟 ガレージキット発売記念センターカラー
76話 11日号 覚悟の行方
77話 18日号 ミーティング•ポイント
78話 気分はJOJO〜 8月25日、9月1日号 運命の車輪(ホイール•オブ•フォーチュン)
79話 9月8日号 暗殺!
80話 15日号 ボス!!
81話 22日号 キング•キリムゾン!
82話 29日号 予測しろ!
83話 10月6日号 裏切り!
84話 13日号 ボートに乗るのは!?
休載 20日号
85話 27日号 ボスの秘密を探せ!! センターカラー
86話 11月3日号 水が!!
87話 10日号 本当に見たの!?
88話 17日号 ジョルノォォォ!!
89話 11月24日号 逃げられた!!
90話 12月1日号 勝利の行方は!?
91話 12月8日号 見つけたぞ! 12月20日 スリングブレイド日本公開
92話 1998年 1月1日号 「ひるむ」だって!?
93話 1月8、14日号 飛行機で行こう!!
94話 15、21日号 異常なし!?
95話 26日号 ピッツァが食べたい
96話 31日号 目標は!?
97話 2月2日号 再起不能!
98話 9日号 イツモ アナタノ ソバニ… 巻頭カラー
99話 16日号 あなたの名は?
100話 23日号 くそ野郎
101話 3月2日号 血のつながり!
102話 9日号 秘密!!
103話 16日号 ドッピオ!!
104話 23日号 2メートル
105話 30日号 暗殺者リゾット
106話 4月6日号 なぜ動かない!?
107話 13日号 メタリカ!!
108話 20日号 ドッピオでは探知できない!
109話 27日号 敵は1人?
110話 5月4日号 追跡しろ!
111話 11日、18日号 「意志」の力
112話 25日号 弓と矢!!
113話 6月1日号 ウイルス!
114話 8日号 チョコラータ!
115話 15日号 ミスタにまかせろ!
116話 22日号 駐車場に行かねば!
117話 29日号 ばかな!
118話 7月6日号 素朴な疑問!
120話 13日号 パニック•イン•ローマ
121話 20日号 1対1(サシ)で勝負!
122話 27日号 好奇心の成果!
123話 8月3日号 幸せって!!
124話 4日号 ひどい野郎!
125話 17日号 メッセージは2つ!!
126話 24、31日号 コロッセオの男
127話 9月7日号 コロッセオ、一歩手前!
128話 14日号 勝者となれ!!
129話 21日号 また来たよ!
130話 28日号 君なのか!?
131話 10月5日号 昔話!!
132話 12日号 ディアボロは過去を乗り越える!
133話 19日号 この世を制する者
134話 26日号 ジョルノが負傷する!!
135話 11月2日号 目的はなんなのだ!?
136話 9日号 「その先」の話!
137話 16日号 『不測の展開』
138話 23日号 あってはならないこと!
139話 30日号 からっぽの世界!
140話 12月7日号 レクイエム!!
141話 1999年 1月1日号 前奏曲(プレリュード)が終わり…! ゲーム化記念sc
142話 8、14日号 距離をとれ!
143話 15、21日号 ボスはどこ!?
144話 28日号 レクイエムの影
145話 31日号 乗り越えろ!
146話 2月1日号 みんなによろしくと!
147話 8日号 「矢」を持つ資格!
148話 15日号 あんたは滅びる!?
149話 22日号 ジョルノのレクイエム!!
150話 3月1日号 何回でも繰り返す!!
151話 8日号 眠れる奴隷
152話 15日号 なんか変!?
153話 22日号 運命の奴隷!
154話 29日号 触っちゃダメ!
155話 4月5日号 大いなる始まり
オマケ メモしてたアオリ
「歪んだ悪は許せねえ!男だったら悪(ワル)を貫け!!」
「イタリアの熱を感じろ!ギャング魂爆発センターカラー!」(ギャング魂が時々アオリに使われててじわっちゃった)
「これがギャングの底力!オレたちの覚悟を見ろ!」(ノリが不良漫画)
「少年ブチャラティを襲った抗いがたい運命の悲劇とは!?」(ブチャラティ過去回扉絵)
「ここは一体!?」(空落ち始まり)「「意志」は必ず!必ず受け継がれる!」(空落ち終わり)
「意志は受けついだ!友(アバッキオ)は俺たちと共にいる!」(空落ち次の回のアオリ)
「信じられない!」(ナランチャ死亡時)「あまりにも唐突!あまりにも残酷」(その次の回のはじまり)「ここはもうナランチャのいない世界!さびしい世界!」(おわり)
「ブローノ•ブチャラティ 死者として生きず 生者として死す!」「そして『矢』はジョルノの手に!」(ブチャラティ昇天シーン)
「仲間(とも)を信じ、仲間(とも)に託す!未だ果たされぬ夢の行末に不安なし!」(多分さっきの次の回、メモし忘れた)
「更に受け継がれし『黄金なる遺産』!!それは『勇気』『希望』『正義の心』!!荒木先生の次回作をお楽しみに!!」(最終回アオリ)
オマケ2 連載500回&10周年の特集メモ
荒木飛呂彦の言葉
「連載500回といっても5部にわかれていますから、新連載を5回やったようなものなので「長い道のり」だという感じはしませんね。これからも「人間讃歌」をキッチリ描いて『ジョジョ』は勇気を与える漫画にしていきます!正義は大切なことですから悪に染まらず、これからも『ジョジョ』を読んで、まっすぐな人間になってください。」
お気に入りスタンド
「襲われたら怖いのはヘブンズ・ドアーとかチープトリックですね。デスサーティーンやキラークイーンなんかも自分で描いててホントに恐ろしかったな(笑)」
といったうえで「セックス・ピストルズ」「ムーディー・ブルース」「パールジャム」「トト神」「アトゥム神」をあげてました。
第5部のテーマ
「本当に悪いコトとはいったい何なのか!?」
あとアバッキオのプロフィールが「元警官で今はギャングという変わり種。20歳。使用スタンドは「ムーディーブ・ルース」」でフォロワーさんにアイドルみたいと言われたのがおもしろかった。以上。(じゃむ)